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日本のテレビ・音楽・映画離れ=芸能人の庶民化

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僕は最近のテレビ番組は見ないし、最近のJ-POPは一切聴かないし、最近の日本映画はちっとも見ない。

世の中もそうらしい

でも昔は見ていた。聴いていた。楽しみにしていた。

価値観の多様化だけでは済まされないこの凋落ぶり。

この現象は一体何なのか?

ちょびっとだけ考えてみた。

 

 

芸能人の庶民派気取り 

一番の理由はこれだと思う。

今の芸能人は如何に自らを庶民派に魅せるのかというのに必死だ

激安スーパーや格安航空券なんかのリポートを見て大喜びするし、庶民派趣味を惜しげも無く披露する。

そこにリッチな臭いが一切しない。

でも視聴者は気づいている。

嘘つきやがってと。

 

僕が思うに芸能人=スターという図式の崩壊が今のエンタメの凋落の原因としか思えない。

芸能人のデフレ化だ。

芸能界に夢というストーリーがなくなった。

今あるのはAKBとかEXILEみたいなヤンキー的ストーリーだけ。

 

別に昔の萬屋錦之介勝新太郎みたいな豪快エピソードを求めているのではない。

ただ芸能人は我々とは違うというステータスがあって欲しいと思うのだ。

 

アイドルはウンコをしないし、ロックンローラーは27歳で死ぬし、大御所芸能人は毎日銀座で飲み歩いてる・・・そんな露骨なステータスがまかり通ってた時代こそテレビの頂点だったわけだ。

 

だが今は年収数億円の女優がブラックサンダーが美味いとか抜かす

たしかにブラックサンダーは美味い。

だけどそのブラックサンダーはこっちの世界のものなのだ

 

 

 

庶民派がウケるようになったのはお笑い番組のせい

じゃあいつから庶民派気取りが芸能人の求めるものになったのか?

これはお笑い番組のせいだと思うのであった

90年代初期のダウンタウンとんねるずの時代だ。

若くてチンピラみたいな芸人が、大御所(梅宮辰夫、にしきのあきら・・・)の頭をはっ叩き、落とし穴に落っことす。

その頃から昭和の芸能人臭い大御所たちが物分りの良い庶民派を気取って笑いを取るという場面を見るようになった気がする。

芸能人が芸よりプライベートを切り売りし始めた。

この瞬間こそ、テレビが死んだ日だ。

芸能界は庶民の消費物に転落した。大量消費の一商品に組み込まれた

 

 

 

番宣やめりゃいいのに

そして最近の凋落に拍車をかけたのは『番宣』だ。

番組の宣伝という目的で普段は絶対に見られないような大御所がバラエティに出るようになる。

やる気のない番宣で庶民派トークをして好感度を上げ、くだらないミニゲームに参加させられる。 

ドラクエⅢの抱き合わせクソゲーみたいな扱いをされる芸能人を取り囲むのは、さらに若いお笑い芸人たち。

かつてのスターは今や自らプライベートを曝け出して番宣までするただのタレントになってしまった

 

 

 

 

まとめ

リーマンショック以降の不況のせいもあってか、このバラエティだらけに番宣の抱合せというテレビ局側の都合で作られたチープな番組だらけになってしまった。

そして大コケ出来ない映画制作会社は、すでに一定の客が付いているマンガ原作アイドル主演映画を金太郎飴みたいに作り続けている。

 

テレビ局、映画、音楽、芸能人、かつて花型だった人間たちは一斉に庶民の方へペコペコしながら近づいてくる。

それは庶民の薄っぺらな財布目当てかも知れないが、そのことが自らの存在意義を殺していることには気づかないのだろうか?

 

まあ僕はテレビはもう見ないから(この前の学校へ行こう!は面白かった)文句はないけど、頼むからスポーツ選手をアイドル化するのはやめて欲しい。

日本男子サッカー代表を勘違いさせたのはテレビとマスコミと大手スポンサーだ。

だから五郎丸をそっとしておいてやれ。